【ケムリクサ】姉妹たちの「離脱」をキーワードにした物語構造の考察
今回は『ケムリクサ』における物語構造を、姉妹たちの「離脱」をキーワードに考察します。
映像分析ではなく、アニメを比較文学的に観ようという試みの論考です。
ネタバレ注意!
#ケムリクサ
#たつき監督
#irodoripic.twitter.com/ph1YXBeYAC
完走した皆さんならお分かりでしょうが、彼女たちは「魔王に抗う勇者パーティ」ではなく、自分たちの生存が第一で、毎日を生きるエネルギーとして「水」と「好き」を求めている。 pic.twitter.com/3hkVeggjRJ
「ヌシやムシ退治」も、降りかかる火の粉を払うことに等しい。
りょくを除いた姉妹たちにとっては「世界を支配するものは何か」や「自分たちを排除しようとする外敵は誰か」といった考えが優先されないのです。 pic.twitter.com/bXI5dlN9Qs
ここで比較したいのは、過去の名作たち。
『エヴァ』
『涼宮ハルヒの憂鬱』
『魔法少女まどかマギカ』
です。
これらの物語には、いずれも「支配者」が付きまとっていました。
ゲンドウ、ミサト、アスカ、ネルフ、エヴァ初号機。
また「男らしさ」「父親への反発心」「承認欲求」なども、シンジを縛ります。
「逃げちゃダメだ」と言いつつ、自主性に乏しいシンジが苦労する作品です。
しかし、キョンが救いとなります。
ハルヒは「楽しい日常の支配者」となることで満足し、キョンは「やれやれ」と言いつつ、それに付き合うのです。
魔法少女になることを夢見る少女たちのエネルギーが利用され、その支配は明確に示されている。
彼女たち自身の希望や絶望という概念すら、エネルギーとして支配されています。
しかし、『ケムリクサ』では、誰も反逆しなかった。
姉妹たちは反逆ではなく、好きに生きられる地を求めて、旅路をゆく。 pic.twitter.com/UPGVelhNV4
僕は敢えて、「離脱」という言葉で表したいと思います。
逃亡は、何かしらの権威や支配から見て「〜は逃げた」という指向性を持ちます。
古代エジプト王国から見たモーセ達は「逃亡者」ですが、モーセ達は自身はエジプトから「離脱」していっただけのように。
ただし、りりは姉妹たちの価値観を縛るほどの支配者ではない。
使命を帯びた探求者として姉妹たちを送り出すのではなく、ワカバの願いを汲んで、好きに生きることを願いました。 pic.twitter.com/5XEVvheNoi
支配者の存在を抜くことで、「支配者を倒す」「支配から逃れる」といった過去の物語構造から「離れた」のです。
対立を生みにくい「離脱志向の物語」が『けものフレンズ』より先鋭化したのが『ケムリクサ』だと考えられます。 pic.twitter.com/CT8mJozZKO
それよりも、たつき監督はじめirodoriのスタンスや作家性として「離脱志向」があり、それが『ケムリクサ』の物語構造とリンクしているのが僕は面白いと思うんです。 pic.twitter.com/ZZHHPZejGc
動画サイトへの投稿やTwitterによるバズが話題になるところなど、主流から敢えて「離脱」しています。
(逸脱ではなく、離脱) pic.twitter.com/xEM1thqtBA
『ケムリクサ』は同人版の頃から「外側に向かう」というテーマを持った作品であったため、リメイクした今、離脱志向のirodori自身とリンクする作品になり得たのではないか…という読みです。 pic.twitter.com/QSoxW5FWsy
ただし「支配者の不在」「反逆せず、離脱することが目的」となる『ケムリクサ』のユニークな物語構造は、たつき監督の十八番となり、今後のirodori作品で洗練されていく可能性はあります。
irodoriの次回作でどんな物語構造を打ち出すのか要チェックです! pic.twitter.com/BG9j796YmZ
・『ケムリクサ』に登場する姉妹たちは、謎めいた世界の解明よりも自分たちの生存を最優先として旅を続けている。
・『エヴァ』『ハルヒ』『まどマギ』では、主人公たちは支配者に対して反逆や勝利を収めていたが、『ケムリクサ』は「支配者(支配)がいない物語構造」になっている。
それぞれ自分の「好き」を見つけてほしいという、りりの願いがあり、姉妹たちは価値観による支配を受けることもない。
・たつき監督はじめirodoriのスタンスや作家性として「離脱志向」があり、それが『ケムリクサ』の物語構造とリンクしたことが魅力的。
以上!終わり!
一島突破!
わかばは処理する!
じゃあ俺、りょくちゃんに
「このせかいのほんとうのしくみ」
として、真言立川流を教えてくるから… pic.twitter.com/vOOOVfbm01
コメント
たつき作品の舞台が「人類のいない廃墟」になりがちなのもそういうテーゼが背景にあるように思う
なるほと。また独自の切り口で参考になる美味い冷奴だった。確かに強大な敵っぽい存在がいても支配者と呼べる者は出ていないな。面白い。
キモくなりがちなアイドルアニメにあって媚びるべき男や支配者としてのプロデューサーを排除したラブライブが比較的広い層に受け入れられたみたいな話やな(違
まずTVシリーズの2作品は支配者に相当する明確な悪役が
居なかったものね。不慮の事故だったり不運が重なったりして
限定的なポストアポカリプスと想像させる世界作りをしてる。
はぇーすっごい考察...(感嘆)からの最後の変化式語録であーもう滅茶苦茶や(褒め言葉)やっぱ(irodiri作品)好きなんすねぇー、多くの人がたつきの作品に惹かれたって、はっきりわかんだね。
※3
どっかの無能pを美化してアニメにぶち込んだアイドルアニメがありまして...(違う)
支配構造への対抗ってのは、言わば自分自身が世界の支配者となる事に他ならないからな。
支配という概念それ自体を撤廃しない限り、支配というものから逃れる事は能わない。誰かのユートピアは誰かのディストピアでしかない。
それを排除したのが真の自由であり、真の非支配構造である。その脱却こそが古き良き海外のliberal……自由主義の目指したものと言える。
まあ簡単に言うと、それがどんな物でも「好き」を認めれる世界こそが真の自由だって事ですな。
別に、りんちゃんみたく、人の好きが理解できなくても良い。
ただ否定したり拒絶したり、ましてや献血問題みたく排除した瞬間、それは単なる暴力でしかない。
誰も悪くない、と思える心を持つ事が大事なんだなと思いました。
それはそうとして最後は許さん!
なんぞと思ったらエロ密教とか出てきてケムリクサ生える
夕飯前に美味しいひ有り難うございます。
余命を戦い以外に使え…
蛇としてではなく、人として生きろ…!
あえて支配者を考えるなら
この再構成された船の中の「世界」を創造したワカバだろうな
最終的にはその船から離脱あるいは逃走するわけだが
創造者としてのワカバは、この世界では「神」であり
はからずもその「神」に反逆してしまったのが、りりとなる。
一応ワカバ上司(?)という影の存在が…
最後クソヤバくて草
真面目な冷奴…の後で真言立川流とかw 何を教えるつもりだ?
毎度深い考察に驚き
そしてりょくへの真言流はワイが掛けんねや
すごく深いお話で好き
でも最後ぉ!
けもフレでも最後のセルリアンですら明確な敵としては描かれてなかったからな
災害の理不尽さに対する怒りや無力感は描いてたが
たった今気が付いたんだけど、りりとワカバとか、2枚目の画像のりつ姉とりなとか、抱っこするときに大人(年長者)が上から抱きかかえるようにして、年少者が抱きついてる格好になってる。
自分が姪っ子とかを抱っこするときは、逆にこっちが腋の下に手を入れて抱きかかえるようにする(そうしないと持ち上げられないので)。
まさか何か意味があるんだろうか。
だれか冷奴してw
そっか、ふつーは「敵」という概念を最初に据えないと物語をテンポよく進められないもんね。敵の攻撃→応戦といった戦闘シーンをガンガン入れればキャラ達の心情描写や葛藤なくても物語が進んでる「よーな気になってしまう」から。(素人作家は戦記物やるな!と時々言われる理由)
一方「敵」という概念に頼らない作品は「あなたの人生の物語」が挙げられるが…主人公始めキャラ達の魂の葛藤の限りを描き尽くさねばならず、難易度がメチャ高い。そしてそれをたつきはやった…と。
既存の便利な出来合い構造に頼ることなく、それでいて王道は踏み外すこと無く、irodorismは奏でられてるんだなぁと再確認。
ふーん、えっちじゃん
この人の考察は凄い納得できて唸らせるけど
ちょっとそこは違うんじゃ?と個人的な考察をさせてくる所が凄い
真言立川流
おい!w
真言立川流…またひとつ賢くなった
ふふふ、、、ソワカソワカ。
たつき監督のセルリアンとかムシ(ヌシ)は明確な悪意が無いから
敵というより脅威だね、現実だと人食い熊がわりとよくいる感じか
※24
つまり某北海道グルメサバイバル漫画がコラボ(非公式)したのは必然だった…?(グルグル目)
※7
つまり
雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい
自由とはそういうことだ!
パッと思い浮かんだ作品がアド・バードだった。
irodoriによってアニメ化されるってのが密かな夢なんだ・・・
敵を倒すんじゃなくて
災害を乗り越えて好きを見つけて生き残るサバイバル。
サバイバル好きな私の大好物です
次回作はぜひ雪山か無人島でボールに顔を書いて
ウィ⚪ソーンって叫ぶ作品が見たいです
検索しちゃったじゃないかw
>>真言立川流
真言立川流ってヒンドゥーの儀式を仏教に取り入れた奴だな(参考文献:狂骨の夢)
死に近い場所で生(性)の活動は出来るけど、りょくに禁忌の概念無さそうだから儀式は失敗に終わるな
(そんなもの教えちゃ)ダメ!ダメ!
みんなよく考えてんだな
立川流だとイタしても達しちゃダメなんだがそれで良いのか。。。
確かに眉間にしわ寄せるような話ではなかったな・・・
と思ってたら最後オイ
おい
最後エロ宗教やないか!
※23
ここすき
生き抜くことと、好きを大事にすることに全力な物語だからなぁ
悪意を主人公達にぶつけてくる存在がそもそも設定されてないっていうのは、たつきの中の優しい世界を顕現させるためには必須なのかもなぁ
面白い考察だ
irodoriのスタンスが作品に現れてるといえるんだろうか
反抗と服従に次ぐ第三の選択肢としての離脱か
※直球の下ネタは控えるようお願いします。