たつき監督が描く物語の本質とは 2019/01/19 13:34 たつき監督 (38) 超記憶術先生@次は4th season @SuperMnemonic2019-01-16 23:10たつき監督はポストアポカリプスが好きなんだろうなと思うけど、ケムリクサもけものフレンズも決して人類の話ではなくて「ヒト」を称する何者かの話なんで、果たしてポストアポカリプスを描きたいのかどうかは実はよくわからない#ケムリクサ超記憶術先生@次は4th season @SuperMnemonic2019-01-16 23:10思うに、たつき監督の嗜好は本質的にポストアポカリプスにあるのではなくて、そういう世界設定を利用して、そこに登場する「ヒト」をゼロから描き出す作業を通じて、根本から人間性を再発見し、再定義することで人間ドラマを描き出そうとするところに作家性があるように思う#ケムリクサ超記憶術先生@次は4th season @SuperMnemonic2019-01-16 23:21ケムリクサも今の所どうやら「人類」は出てきていない。リンたちは人間のように感じ行動しているが、恋愛感情を理解できない描写がある。人間性の根幹が作為的にモデリングされている。視聴者が彼女らに人間性を期待して見ることがすでに監督の仕掛けに嵌っている気がする#ケムリクサ超記憶術先生@次は4th season @SuperMnemonic2019-01-16 23:30それはともかく、王道の物語の構造の本質は、喪失や欠落と、その贖いや回復にある。その意味ではりんの喪失と欠落はこの2話で描かれており、この作品がどのような展開であろうと、それを回復し手にしようとする王道の物語であろうことは信じていいと思う#ケムリクサ超記憶術先生@次は4th season @SuperMnemonic2019-01-16 23:331,2話で2012年の同人版の内容をほぼ全て消化したらしく、第二話でようやくOPが出たが、冒頭の散っていく葉に死んでいった姉妹たちが映るところからゾクっとした。想像以上にカッコよくて驚いた。これは高まるわw#ケムリクサ
コメント
ワイトもそう思います
たつきや伊佐さん、廃墟好きっていうけど
たぶん本当に好きなのは「人」の営みの記録だよね
廃墟みて楽しいのはそこでどんな風に生活してたんやろって想像する事やしなぁ
「ヒト」の再定義か
そらクッソおもしろいに決まってるやろ!
なんかこの先もっとエグいSF作品作りそう・・・
良くも悪くも人として純粋なんだと思う。
なので人間社会の生々しい部分を排除したような作風になるし、それが極端に行った結果としてポストアポカリプスものになった。
irodoriの過去作品みても嫌なやつってほとんど出てこないよね。
ケムリクサ見てて本当にたつき監督だからこその凄みだと思った。
凄い繊細に一つ一つ動きを付けてて、伏線も随所にある。2話目にして。
キャラ愛(一人ひとりから呼気、伊吹すら感じる)
自身の作品に対する譲れない拘り、熱量と熱気に溢れている。
アニメーションを心から愛しているのが伝わってくる。
監督なんて誰でもいい訳がない。
うぉぉがんばれ
荒廃した廃墟の中に描かれるウブな人間(?)模様。
いわば泥沼に咲く蓮華の美しさ。
ある意味、宗教的な魅力でもあるんだが、
カルト蠢く腐った時代に宗教の体裁なんかを採らないのもまた、
掛け値無しに純粋な物語を描き出す後押しになっている。
ストーリーに一本の筋が通ってるのは凄い感じるわ
ファンは楽しませたいけど顔色伺わずやりたいこと必ずやり通す感じ
あと「王道」ってのは激しく同意
現実の世界に現実味が無くなってるからね
こういう異常な世界にしないと人間の可能性は描けないんだな
けもフレ1期のときは、フレンズの目を通してヒトを描写する事によって
ヒトの存在を逆説的に浮かび上がらせる手法を取っているな、とは思っていました
ケムリクサでも、どうも姉妹は人間なのかどうか怪しいので
その辺りも注目しています
解説がないと付いて行けない(落涙
わかばきゅんが、
姉妹が、
ヒトの素晴らしさを
教えてくれます!
かばんちゃんが届けられなかったものも、
きっとそこにあると信じてます。
今作はりんを通して3Dで難しいとされてる表情に力を入れてると思う
りんが一見クールキャラだけどめちゃくちゃ表情が顔にでるタイプで0.5話から
重要なシーンでの顔を一切見せないのを心がけてるから1話での最後の感じで表情が顔に出やすいのを伝えた上で2話の最後のセリフは顔を見せなくても笑ってる感じを伝えてるし、こっちにがわに顔を想像させててうまい
ウルジャンでのわかば視点での別角度で見せたり、
OPの最後の絶妙な顔がどういう表情なのかが最後の方でわかりそう
ポスアポよりマンアフターマンだと思う。
まあポスアポだけどより一歩進んだところ
※9
けもフレ一期はフレンズという座標からヒトを観測することによる「ヒトの再定義」
ケムリクサはヒトそのものをいったん分解して、再構築することによる「ヒトの再定義」なんじゃないのかなと感じたんだけど、まだ二話段階だしなぁ
とはいえこのツイッターで書かれてることは当たってそうな気がする
りんたち姉妹もわかばんげんも全員「ホ.モ・サピエンス」では絶対にないのよな
ケムリが無事にフィナーレ迎えたら今度はらすおんやってくれー
たつきの普通のラブコメも見たいんじゃあ!
けものフレンズ2の木村監督は、インタビューで
「カラカルは出してほしいという要望があったんですよ。
前シリーズはサーバルとかばんちゃんの2人がメインだったので、サーバルと主人公と、もう1人増やすことにより絵面や会話で前シリーズとはまた違ったこともできたらいいなと思って登場させました」
と答えていたけど、実際に1話を観るとサーバルとの差別化ができていないうえに、台詞はネガティブなものが多いため、サーバルを悪くしたような印象しかない。
一方のたつき監督は、趣味動画では6人いた姉妹のうち3人を、本編では最初から故人としてスタートさせている。
また、けものフレンズ1期でも、カラカルは台詞で登場するだけで、キャラクターとして描かなかった。
けものフレンズ2でカラカルが登場してみて、監督がカラカルを出さなかった理由がよくわかった。
それと同時に、たつき監督は「削るのがうまい監督なんだな」と思った。
KF2のように、周りの要望を聞いてキャラを増やすのは簡単だけど、登場キャラが増えるということはキャラごとの登場時間が減るということだし、個性をしっかりと差別化しなければキャラかぶりになってしまう。
けものフレンズというコンテンツは、元来そういう「キャラがかぶりやすい」という本質的弱点があり、たつき監督はそれをわかっていたから、さばんなちほーではシマウマとトムソンガゼルを背景にしたし、じゃんぐるちほーでは多くのフレンズを出しながら、多くは自己紹介だけであっさり話を進めた。
こうざんでも、キャラかぶりが危惧されるショウジョウトキはトキよりもはるかに短いシーンでしか登場させなかった。
削るという行為は、いい塩梅にするのが難しい。
削りすぎれば薄味すぎて味気なくなり、かといって盛りすぎれば味同士が主張して食べられたものじゃなくなる。
たつき監督というシェフは、その盛りと削りのバランスが良い一流なんだとあらためて感じた。
たつき監督が何を考えてアニメ制作をしているのかは
私なんかには到底想像できないですが・・・
けものフレンズやケムリクサもそうですが
それまでアニメを見るのがあまり好きではなかった私ですが
irodori作品は何故か何度も何度も見返したくなる!
見返すたびにどんどん好きになる!!
飽きることのないとても不思議な感覚です
たつき監督は魔法使いか何かに違いないですよ!!!
キャラ立てるのはうまいよね
りん=チョロイン
りつ=垂れ乳年増猫耳姐さん
りな=な!
わかば=ちょいウザ命捨て男
けもフレを続投しなくてよかったかもね。こんなすばらしい作品を作ってくれるのなら。
たつきのけもフレ続投はけもフレにとっては絶対に必要な事だったけどたつきにとっては絶対に必要なことではなかったからな
そのへんの計算は福原は読めていたのかなと思う
とにかく画作りに妥協が無い、無意味な瞬間が無い
ただ25分ほどそれなりに画を繋げとけばアニメだろみたい小手先だけの雇われ監督的な仕事はしない
キャラ描写はオタク的だけど作品じたいはゴリゴリの本格派かつ王道
作品に不快な人物や変に壮大な葛藤がなくて、
等身大の人間の「悪くない部分」を写すのがirodori作品ではと思ってる。
例の騒動がそれを変えてなければ嬉しい。
変えてたとしても考えあっての事だと信じてるから受け入れるけども。
かばんちゃんからして普通のアニメ他SFならミュータント
つまり人とは違うものとして扱われる
そういうものを超えた人間性そのものを問うているというのは同意
普通の作品ならお約束でスルーするところを
一つずつ立ち止まりながら問い直している
ボーと見てると地味に見えてもじっくり見ると引き込まれる演出力の源泉
※21
けもフレ⇒たつき監督
けもフレはたつき監督がいなくてはならない(必要条件)
たつき監督はけもフレがあればいいが、絶対ではない(十分条件)
なんか数学を思い出したわw
『不可避の滅びる運命』にどう向き合うかが今作の本質じゃないかな
前スレにも書いたけど、おそらくジョジョ5部でいう『眠れる奴隷』に近いものだと思う
自分の辿り着く先が『死という結果』に変わりはないけど『生きている過程』をどう認識してどう行動するかが何よりも大事って話
今の凛ちゃんは自分のやりたい事が無くて『死という結果』をただ待つ身だけど、これからの『旅という過程』で己の存在意義を自分で見つけて邁進するんじゃないかな
自分探しの旅という意味では、かばんちゃんと同じだとも思う
もしかしたら凛ちゃん(あるいは他の誰か)は死ぬかもしれないけど『旅の過程』で積み重ねてきた事は、誰かに希望を与えるものとなって受け継がれていくと思うわ
「生きる」とは何か。
何の為に「生きる」のか。
生きながらえる、ではなく
たとえ一瞬でもキラキラと命を輝かせること
その美しさ。
描かれているのはそういう普遍的なテーマだと思う。その上に、独創的なキャラクターやギミック、舞台装置が豊かに配され魅力的な物語が紡がれていく。(異論は聞き流す)
再定義された人の一つの形が眼鏡になるわけだ!
いいところをついてると思う
「廃墟」が好きと言っても、何も壊れた瓦礫そのものに興奮してる訳ではなくて(そういう性癖もなくはないが)、
そこにかつてあった人類の営みだとか積み上げられた歴史に思いを馳せたり、今は文明の朽ち果てたその場所にぽつんとキャラクターを登場させて、新たな営みを描くことで人間あるいは文化とか文明とは何かを再定義したい訳で。
たつき監督はこちらでしょう
※17
ひろゆきがバーチャルさんが見ているについて
似たようなこと言ってたな
ワイ的には異議ありかな。
この主張の根拠の中心にある“けものフレンズとケムリクサの共通点”は
同人版ケムリクサのわかば君を元にかばんちゃんが作られたというバックボーンが有るからこその必然であって『らすとおんみょう』や『眼鏡』にはこの傾向は見られない。
むしろケムリクサのわかば君とけもフレのかばんちゃんのような共通点のある主人公はほとんどいなくて毎回主要登場人物のタイプが違う作品が多いイメージ。
たつき監督は中心となるような特定の思想を元に作品を作ってるんじゃなくてむしろもっとオールラウンダーな感じがする。
幾原監督もそうだが作家性を前面に出して
オリジナルアニメを作れる監督は惹かれてしまう
たつき監督は本編に(もちろん答えもあるけど)ヒントを隠しておくのが得意なんだと思う。姉妹とわかば君があの世界で探している答えを、僕らも一緒に探せるような話を作ることを心がけてる感じがする。よーするに一度見始めたら後戻りできないっていうか、答えが知りたくてたまらなくなる。
荒廃してる世界を受け入れてそれでも生きていこうとする人々を描くってのはFFCCを思い出すなぁ…
※32
~のように解釈しなければいけないってわけじゃなくて、なんの気なしに見ていてある時突然何かを見つけて、これまでを振り返ったらたくさんのヒントが隠されていたってなるのが本当に憎いよね
これからも、みんなとたつき監督との「こたえ探し」が楽しそうなアニメだな。
※34
解釈が分かれる話は未熟といわれるが、たつきの作風は、放送中こそいろいろな解釈が生まれこそするが、最終的にはみんなが納得する形で伏線を奇麗に回収するんだよな。
だから終わった後に解釈を巡ってごちゃごちゃ言い争いが起きない。
これは説明しきれない点を投げっぱなしで誤魔化したり、どうとでも取れるようにして明言を避けたりするものが多い中、かなり珍しい作風。
本当に話の組み立ての才能がないと出来ない芸当
完璧とは、何も加えるものがなくなった時ではなく、何も削るものがなくなった時
たつき監督の作家論になっちゃうと、俺はどうしたってケニアと絡めたくなっちゃうんだよな
監督がやろうとしているのは、「野生」ってことなんじゃないのかなと
「野生の人間」というのはどんななのか、ってのを掘り下げようとしてるんじゃないかなと
単に優しい・甘っちょろい人間がいる世界観というのではなくて、
そこに必ず厳しい環境が絡んでいる辺りに、
ある日突然アフリカのサバンナに放り出された人間どうしのいたわり合い、みたいなものを感じるんだよ
なんつーか、「優しさ」が、単なる人間性に対する付加価値なのではなくて、
お互いに生き残っていくための絶対条件である世界観、というか
※直球の下ネタは控えるようお願いします。